あの記事に関して・・・最初は何も言うつもりはありませんでした
鍵コメさんがわたしではないことは 紛れも無い事実なので
あの決めつけは 鍵コメさん本人に迷惑がかかってはいけないと思い
それは記事にしました
でも それ以外はわたしの書いたものをkimanbaさんがそう捉えたのだったら
それは仕方のないことなので受け入れよう・・・と思っていました
ただ・・・障害に関する部分の彼女の書いた言葉に どうしても引っかかりがあり・・・
ずっと考え続けてきました
その件に関しては どなたも言及されていないので これは当事者でなければ
わからない部分なのかもしれないと思い 書いておくことにしました
わたしが引っかかった部分は
彼女の子供さんは大学生で知能的には優秀過ぎる方のようでした。
だからこそ!の苦しさが、、、
別の形でのそちらの方が 諦めきれないだけにより強い辛さに繋がるのだろうと思えました。
何度も 「なぜ?」と言わずにはいられない日々を過ごしてこられたと思います。
ほんのちょっとした行き違いだけで
彼女のお子さんが優秀なエリートの道を歩いたであろう事は容易な事だったからです。
でも、、、
知的障害のある人達とご自分の子供さんとを・・・・
「うちは知能は高い」という形で区別される姿勢や表現される事が気になりました。
以前の公立中心の塾では大学生になれなかった生徒もたくさんいました。
友人の子供や生徒の兄弟 知的障害やダウン症や、、抱えているのですよ。
kimanbaさんは「区別」という言葉を使っていますが 本当は「差別」と書きたかったのでは
ないのかと思います
でも そう書いたら わたしが反論するだろうということも予想されたのでしょう
あえて 「区別」という言葉を使われています
わたしが子どものことを「知能が高い」と書いたことは あくまで事実を述べただけです
発達障害と言われる子どものなかに 知能が高い子はたくさんいます
それがかえって 障害を理解してもらう妨げになってしまっていることをわかっていただきたく
書いた言葉です
障害があるといいうことは「ほんのちょっとした行き違い」などではないということを
彼女はまったく理解されていません
また
以前の公立中心の塾では大学生になれなかった生徒もたくさんいました。
友人の子供や生徒の兄弟 知的障害やダウン症や、、抱えているのですよ。
の言葉の後ろに コメントにあったのと同じ 「叱責」の言葉
あなたに一言言います。私には言う資格があると思います!
「息子さんは大学にいけているではないですか。その幸せを思いなさい!」
という言葉が聞こえるのは わたしの被害妄想でしょうか
あえて大学生になれなかった生徒のことや
知的障害を抱えているお子さんのことを持ちだされたのは
「大学にいける人のほうがしあわせでしょう?」というkimanbaさんの価値観を
わたしにも 認めさせようとの意図からだとおもいます
でも それは 大学に進学がかなわなかった子たちや
知的障害を抱えたお子さんたちにも とても失礼なことだと思います
大学に行けるだけ しあわせ・・・
だとしたら 行けなかったそのこどもたちは 不幸せなのでしょうか
それこそが 社会の偏見と 差別ではないのでしょうか
障害を持つ本人 そのご家族にも たくさんの意見があります
障害の重い軽いで その大変さを語る方も いらっしゃいます
でも
障害を抱えている方たち そのご家族のほとんどが
「その大変さ 辛さは 障害の種類や 重い軽いで変わるものではない」ということを
実感としてご存知です
その方たちが語ってくださる言葉に わたしもこれまで何度も救われてきたことは
今までも この場所に書いてきました
その方たちから 知的には問題がないという言葉を 「区別」であるというような
捉え方をされたことはありません
大学に行けない人がいるのに・・・という思いの込められた言葉は
大学に受かっても 学ぶ能力があっても それが障害によって阻まれて苦しんでいる
子どもにとっても
行けなかった 知的障害のあるお子さんたちにも・・・
とてもつらい言葉です
また kimanbaさんは
これまでかなりの数の生徒とその親と接してきました。
これだけの数の家庭と接していると、、(特に塾は学校よりも家庭との関係は密接です)
家族に障害を抱えている家庭が結構ありました。
夫や私の親しい友の子にも何人かいます。
どの家庭も抱えている出口のない苦しみは・・私もそうでしたから知っているつもりです。
知っているつもり・・・
その思い込みで すべてのことを判断することは とても危険なことです
当事者として 知っていることと ほんの僅かの部分だけを見て
知っているつもりになっているということには 大きな開きがあります
でもそれらを知った上で私がいつも最後に言う言葉は・・・
「でも、、生きていてくれる事が喜びよね 生きていてくれるだけでいいよね」 でした。。
居なかったらどんなに楽だろう、、という気持ちがかすめながらの日々の暮らしであったとしても
ついついそんな風に思ってしまう事を誰も責める資格はない。
私がこう言うとどのお母さんの顔も友人の顔もパア~ッと明るくなりました。
みんな子供の事は何より大切に思っているのです。
大変だなぁ、、という世間の同情の目や或いは悲しいかな蔑みの目の中で
私の言葉は
子供の存在そのものを祝福してくれる目はうれしい という気持ちだと.....友は言いました。
この お友達の言葉に 嘘はなく 本当にkimanbaさんに感謝をしたのだろうと思います
それは紛れも無い 事実なのだろうと・・・
でも 障害を持つ子どもを育ててゆくことは
「生きているだけでいい」だけでは済まないことが たくさんあることを
家族は痛感しています
でもね・・・
そう言いたいことは たくさんあって それでもほとんどの親御さんは
そうやって優しく接してくれる方 ましてや大切な友人に対しては それを飲み込んで
笑顔で感謝の言葉を伝えます
その 飲み込んだ言葉が どれだけあるか・・・
その現実を どれだけ理解しているか・・・・
それがわかっていたら 簡単に
「生きているだけでいいよね」 とは 言えないはずです
また
知っているつもりだとも 言い切ることはできないでしょう
そういった言葉に 感謝し 救われることも本心でも
その裏で たくさんの涙と 痛みに耐えている方々の声は
kimanbaさんには決して聞こえないのでしょうし
万が一 聞こえたとしても
「それは私の幸せには 必要にないことだから 近づかないし 読まない!」
「だって私は何一つ 間違ったことはしていないのだから!!!」
と 言われて 振り向きもされないのでしょう
そう この場所に 2度と訪れないと言い捨てた そのままに・・・・